さよならは振り返らずに

people eating on street JINの旅物語

旅の出会いは、どうしてこんなにも思い出深く、せつないのだろうか。

出会い、そして別れは、いつも突然やってくる。
わずかな時間でも、それは人生の記憶に深く刻まれる。

22歳の夏、国内で知り合ったイスラエルの友人を訪ねる旅に出た。バックパックでの一人旅。  目的地と期間だけを決め、あとは何も決まっていない自由スタイルだ。

「タイでチケットを買えば、日本の半額以下で買える」

そんな情報を頼りに、まず向かったのはタイ。「微笑みの国」へ飛び込んだ。


東南アジアの洗礼

タイのドンムアン国際空港に降り立つと、それまでの空気が一変した。

高い気温にまとわりつく湿気。黒ずんだ排気ガスに鳴りやまないクラクション。整然とした日本やヨーロッパとはまるで違う。そこはカオスな状況と、独特の熱気に包まれていた。

——これが東南アジアか。はじめての経験に鼓動が高鳴った。

まず目指す場所は、世界中からのバックパッカーの聖地、カオサン・ストリート。          安宿街があることが有名で、中には数か月も滞在する強者がいると聞く。

「地球の歩き方」と、現地での体当たりでのヒアリングを頼りに、その方角にむかうであろうバスに乗り込んだ。当時は1998年。Googleマップなんてもちろんない。途上、コンパスと地図を頼りに、時折、大まかな方角だけを確かめた。

ちゃんと目的の方向に向っているだろうか。大航海時代に、星座を見て現在地を知り、進路を確かめる。そんな感覚だった。

どこを走っているのか分からない。——それでも、怖くはなかった。冒険心が勝った。


カオサン・ストリート

空港を起点に、進んできた方向はおおよそ合っている。けど、バスを降りる場所がわからない。  街中にやってきたことはわかるが、このあたりだろうか???

そんなとき、親切なタイ人が察してくれて、降りる場所、目指す方向を指さして教えてくれた。

「ありがとう」、人は言葉だけでなく、表情やしぐさをみて、お互いを察することができる生き物だ。乗客のタイ人のやさしさに助けられた。

なんとか辿り着いたカオサンは、想像以上に世界中の旅人で溢れていた。歩行者天国と思いきや、商用バンやトゥクトゥクがかきわけて進む。自転車と合体したお手製の屋台がならび、何を作ってるのかわからないような食べ物もあった。

屋台でヌードルを注文。タイの伝統料理パッタイだ。値段も20バーツ(当時70円ぐらい)。指さして、調理人のおばちゃんにスパイス追加を依頼。コクンとおばちゃんはうなづく。

「めちゃくちゃ美味しい!」

辛くて熱々のパッタイは、これから進む未知なる冒険への好奇心と情熱エネルギーを心に注いでくれた。

まずは安宿探しから開始。路地の奥やレストランと合体したところにいくつもある。自らの足で回り、部屋を確かめた。

水シャワー、ホース式のトイレ、古いがよく効くエアコン。もってきた南京錠で施錠もできる。

——これにしよう。

1泊120バーツ(当時400円ぐらい)。その部屋は、世界へ踏み出すための拠点になった。


半額以下のチケット

トゥクトゥクのドライバーと値段交渉をして街を移動する。交通ルールなんてない。赤信号なんて看板程度の感覚。その雑さも含めて、すべてが新鮮だった。

交渉は簡単な英語。「ワットポー(タイの寺院)」、「50バーツ」、「ノー、ノー。20バーツ」、そんな具合。人間なんて考えていることはおおよそ同じ。これで十分通じる。

目的に向かう途上、トゥクトゥクのドライバーに土産店に連れていかれそうにもなったが、「行かない」、「違う」と日本語と身振り手振りできっぱりと断る。こんな経験、日本では絶対にすることはない。旅は人をたくましくする。

旅行代理店にも行き、イスラエルに向かう格安航空券を探した。日本なら20万円するチケットが、7万円台で見つけることができた。情報は正しかった。

バンコク→ドバイ(UAE)→アテネ(ギリシャ)→テルアビブ(イスラエル)と渦巻のようなルート。トランジット(空港内での滞在時間)も長く、移動に2日はかかるが、時間に体力、そして気力も十分。お金はないが、これが最大の味方だった。

この渦巻ルートのフライトを購入することに決めた。

目的地にたどり着くのに、複数の方法がある。自ら動けば、きっと良いやり方は見つかる。  人生での同じ教訓、そんなことを教えてくれる瞬間だった。

出発は1週間後。それまでタイで過ごすことになった。


出会いは、いつも突然だ

カオサンのレストランで、フランス人の男と出会った。

金髪に青い目。屈託のない笑顔。同じ年頃のバックパッカーだった。同じく世界を旅しているという。気づけば、隣にいたタイ人の二人も加わり、4人で話していた。

その流れで翌日、一緒に出かけることになった。理由なんてなかった。ただ「面白そうだ」と思っただけだった。

異国の地での一人旅、自分の身は自分で守るしかない。危険かもしれない。それでも、最低限の危機管理を怠らず、自分の直感を信じた。


アイドルになった日

友人となったタイ人が運転する車に乗り込み、4人で向かったのは、バンコクから北方向にある国立公園。車に6時間ぐらい揺られた。野生の動物が見れるかもしれないということだった。

その途中、田舎のショッピングモールに立ち寄った。気づくと、自分たちの周りに人だかりができていた。

金髪で青い目の彼と、姿かたちが違う日本人の自分。外国人が珍しかったのだろう。

——少しだけ、世界の中心にいる気がした。

モール内を歩き回っていると、タイタニックのビデオを見つけた。役者はなんとタイ人。ビデオの表紙は、ディカプリオに扮したタイ人の男性が金髪のかつらをかぶり、船主でタイ人の女性役者を後ろから抱きしめている。映画タイタニックを代表するシーンだ。

あまりの出来の悪いパクリっぷりに、フランス人の彼と大笑いした。


さよならは、振り返らずに

楽しい時間は、驚くほど早く終わる。出国の日の朝がやってきた。

レストランでの会話、国立公園への旅、酒を飲み、ムエタイを一緒に見に行き、ビリヤード対決、、。短い期間だったけど、多くの楽しいシーンが思い出される。

「楽しかったよ、ありがとう。」

その一言が、やけに重かった。涙があふれてきそうだった。

私が言った。

「ここでさよならだ。そうしたらお互いに振り返らず、そのまま、まっすぐ進もう。」

少しの沈黙。フランス人の彼もうなずき、眼にも涙が滲んでいるのを感じた。

「……さよなら。また会おう。」

振り返りたかった。でも、振り返らずまっすぐに進んだ。

彼はチェンマイへ。私はイスラエルへ向かった。

お互い、また別々の道に進む。そしてそれぞれの人生を生きる。そのときは、またいつか会えると本気で思っていた。


届かなかった手紙

なんという失態だ。イスラエルに向かう旅の途中、彼の住所が書かれた手帳をどこかで失くしてしまった。彼を知る手掛かりはない。

「彼からの連絡を待つしかない。きっとくる。」 

自分にそう言い聞かせ、気持ちを落ち着かせた。

帰国すると、彼からの絵ハガキが届いていた。チェンマイからだった。文面は踊り楽しい日々を過ごしていることが伝わってきた。私の近況も知りたいと書いてあった。

でも、差出人の住所に記載はなかった。

術がなく、返信はできなかった。彼からの追加の手紙も届かない。

それきり、二度と彼に会うことはなかった。


振り返らず、前に進もう

今でも思う。

彼は今、どこで何をしているのだろう。あの国立公園のこと。カオサンの夜のこと。あの一週間のこと。覚えているだろうか。私が返信できなかった背景も悔やまれる。

旅で新たな人と出会い、やがて別れていく。同じ世界に生きていても、再び交わることはまずない。それぞれの人生のベクトルの交差点で、そこで偶然にも出会ったという奇跡。

そう、まさに一期一会だ。

それでも、記憶は消えない。

あの夏のタイの思い出は、今も自分の心の中で生き続けている。手帳はなくしても、心に刻まれたその記憶だけは、どこにも消えなかった。

きっと彼も、世界のどこかで楽しく生きている。

「振り返らず、前に進もう」

そう、あの時に彼と交わした言葉にしたがって。

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