バンコクを出発し、ドバイ、アテネを経由して、2日がかりでイスラエルのテルアビブ空港に到着した。
イスラエルに住む友人宅に泊まり、久しぶりの再会を喜んだ。そこで、私は不思議な話を聞くことになる。
イスラエル南部、紅海に面した港町から陸路で南シナイ(エジプト)へしばらく向かった場所に、「ドルフィンリーフ」と呼ばれる場所があるという。そこには、耳が聞こえず、言葉を話せないベドウィンの男がいて、少しチップを渡すと、野生のイルカを紅海から呼び寄せてくれるらしい。
私はまったく信じなかった。
どうせエサか何かを使っているのだろう。観光客向けの作り話だと思っていた。
それでも興味をひかれ、友人と一緒に、おんぼろの乗り合いタクシーに乗り込んだ。見知らぬイスラエル人たちに囲まれながら、灼熱のゴツゴツした岩砂漠を南へ向かう。
目的地に着くと、そこには、エメラルドグリーンと深い青が混ざり合う、美しい紅海が広がっていた。
観光地とは無縁で、自然発生的にできたような小さなビーチ。強烈な太陽。乾いた風。
物売りの少女たちが近づいてきて、気がつけば両手には色とりどりのミサンガが巻き付けられていた。
そして、その先に、話に聞いていた男が立っていた。
ターバンを巻いた、耳の聞こえないベドウィンの男。
私は半信半疑のまま、聞いたとおりに彼に少しのお金を手渡した。
男は静かにうなずくと、何も言わず、紅海の目の前へ歩いていった。
海にもビーチにも、私たち以外、誰もいない。
私は彼の動きを見逃すまいと、じっと観察していた。
しかし、男は何もしない。
ただ、目を閉じ、静かに海の前に立っているだけだった。
波の音だけが聞こえる。
本当に来るのだろうか。
そう思った、その瞬間だった。
沖の方から、一匹の大きな生物らしきものが、こちらへ向かってくるではないか。
私は仰天した。
友人に荷物を預け、海パンと水中ゴーグルを付け、反射的に紅海へ飛び込んだ。
海の中は、信じられないほど美しかった。
100メートル以上先まで見えるほどの透明度。カラフルな熱帯魚にサンゴ礁。まるで別世界だった。
すると、前方から、大きな黒い影がどんどん近づいてくる。
「サメかもしれない」
一瞬、身体がこわばった。
だが次の瞬間、なぜかこう思った。
「食べられるくらいなら、自分から飛び込んでやる」
私はクロールで、その影に向かって泳いだ。
イルカだった。
大きな野生のイルカが、私の周りをぐるぐると回りながら、「んー、んー」と声を出している。
不思議なことに、私はそのイルカが、「ヒレにつかまって」と言っているような気がした。
私は右手を伸ばし、その背びれをつかんだ。
次の瞬間、イルカは一気に加速した。
私は背びれにつかまったまま、紅海を引っ張られていく。
イルカは、まるで遊ぶように、私と一緒に泳いでくれた。
こんなことが、本当にあるのだろうか。
あまりにも現実離れした体験だった。
後に知ったことだが、自閉症の子供の治療を目的とした「ドルフィンセラピー」というものも存在するそうだ。イルカには、人の心を落ち着かせる不思議な力があると言われている。
その時の出来事を思い返すたび、私は思う。
「奇跡はある」と。
自分の知らない場所へ飛び込み、行動したからこそ、あんな信じられない体験に出会えたのだ。
今でも、あの背びれに触れた右手の感触を覚えている。
だけど、あの場所が正確にどこだったのか、今でも分からない。地図にも旅行情報誌にも載っておらず、一部の人しか知らない場所。現代のGoogleで検索しても、それらしい場所は見つからない。
世界は広い。
まだ誰も知らない場所や、不思議な出来事が、この世界にはきっと残っている。
そして、それこそが、私をまた旅へ向かわせる理由なのだ。


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